地蔵するということはとても有意義な時間を自分に充てているということだ。

なぜならそれは普段抑圧した感情や見ることができない思考を垣間見ることができるからである。

これは一人きりになって心の中を覗き見してるのと一緒だ。

地蔵するということは現状の自分に対しての不満などをクリーンアップする作業が必要だということである。

そうしない限り、苦しくて前に進めないほどに心の中で淀んだ思考が自分を負の泉へと落とし入れられることになる。

声掛けれないから自分はダメだといった劣等感、自己嫌悪、またそれにまつわる思考が邪魔するため行動に移せないでいる。

以下、声掛けれた瞬間というのは通常対立した思考に打ち勝つことはできたから行動に移せたのである。

●思考の対立図式

『声掛けよう』

対立

『無視が怖い』『恥ずかしい』
『もう遅いから帰ろう』
若いから・オッサンだから無理だろう』

しかし、こうして対立した状態ではいくら頭をこねくり回しても前か後ろか、右か左かといった直線的にしか思考は動かない。

これはケンカと一緒で力が強い方が勝つわけで、片方の思考を認めたくないから心の奥にしまい込んで蓋をしているだけである。

ある期間は苦しみを見なくても良いが、時間が経過するにつれ徐々に蓋は開き、また同じ現象が起こり、上記の対立が繰り返されるのだ。

このように対立した思考は一旦勝敗が付いたしたとしても、また同じように繰り返されるだけで延々と終わることは無い。

このループを終わらすには互いに認め合い、許し合う覚悟が必要なのだ。

ではこの両者間で対立した思考の中、楽に声を掛けるにはどうしたらいいのか。

唯一救うことできる道がある。

それが瞑想だ。

瞑想することで2つの対立した思考を強い方向に押し返すのではなく、

むしろ互いを認め合い尊重して仲良くさせ一体にしてくれる効果がある。

瞑想は単にリラックスするだけでなく、意識を3次元から多次元へと上昇させ今まで解決できなかった問題が解決できるようになる。

その力は直線的に動くのではなく、高い意識へと上昇し螺旋状に回転して上へとあがっていく。いわば次元上昇するのである。

そして最終的には一体化して昇華される。この思考過程のことを許しと言う。

三次元内での思考は、できるかできないかの二元論で片付けるしかないため、互いに摩擦しあうだけで互いに良い方向は生まれない。

だが意識を多次元へと上昇させることで、一定の条件下でしか認められなかった思考が複雑に重なり混ざり合ってやがて一つになって昇華されていく。

単純にいえば意味をなさなくなり、無化されるのである。

この状態になるには瞑想で意識を変性意識状態にまでもっていきリラックスさせる必要がある。

そうなると様々な思考や複雑に混ざり合った感情が解けて心の中が柔らかく溶け、苦しみが崩壊されるのだ。

すると今まで苦しんでいた感覚が収まり、以前より楽々に声が掛けられるようになるのである。

慣れないうちはまず目を瞑り、心を落ち着かせることに集中してみよう。