ちょうど2年前のことである。

 

街で声を掛けて今までで一番好きなタイプの人と出会った思い出がある。

その人はスタイルも性格も申し分なく、しかもメチャクチャ仕事もできハッキリ言って超が付くほど高嶺の花であった。

 

最初は普通に話が進んでいたのに、次第に彼女のことを知るうちに段々と自信が無くなっていくのを覚えている。

何故なら、自分には彼女は相応しくなく絶対に釣り合わないと思ってしまったからである。そうとは知らずに彼女は笑いながら自分のことを語り出す。

話を聞きながら、心の中で苦しくてこんな場面耐えられないと思っている自分がいた。

そして30分以上も話して喫茶店にも連れ出したにも関わらず、何もできずに彼女と別れてしまった自分がいる。

別れ際、彼女は丁寧に「ありがとうございました」とお辞儀までしてくれたというのに。

最後の最後までどうせ俺には無理な相手だと思い込んで諦めてしまっていたのだ。

 

後悔すると知っているのに、そうなると気付いているのにもかかわらず連絡先を聞くことができなかったのである。

立ち止まってとっさに振り向いたが時既に遅し、もうそこに彼女は居ない。

「俺は何でまたこんなことやってんだ・・・」

 

そんな思いを数ヶ月以上引きずったまま、何もできなかった自分に苛立ち、後悔した事を今でも覚えている。(しかし半年後、偶然彼女と再会する。その話は後々)

 

 

しかし今思えば普通に長時間話したし、連絡先を聞きだすことが出来たのに何故何もできなかったのだろう。

よくよく考えるとそうする事で自分に何らかのメリットがあるはずなのだ。

よく考えてみると、

自分は幸せになると生きていけない

という思いがあることに気付いた。

何故なら小さい時、何らかの理由によって親に怒られ家を追い出された経験があったからだ。

その時に深く自分は惨めだと思い詰め、追い込んでいた。その感覚を深く味わいきった瞬間、母親に救い出された経験があったのだ。

 

故に、惨めでいなければ助けてもらえない。

と根強い思考パターンが入っていた。

 

それを心の中から解放したその瞬間、自分は幸せになっていいんだと自分自身を許すことができた。

今まであった後悔や無念をわざわざ経験しなくていい。もっと自分は幸せになっていいんだ。幸せになる価値があるのだと。

諦めるのはまだ早い。自分を勇気付け、前進していくことができる。なぜならまだそこに進む価値があるのだから。

私は自分自身を最大限発揮して幸せに導き、約束することをここに誓った。