人は一体何を求めているのだろうか。

ただ上昇を求めているのではなかろうか。この上昇というのも物理的に上に登っていくのではなく、高みに上るといった意味でもない。

人は意識の上昇を無意識的に求めているのではないかと思う。というのも最近、人との会話するにおいても何を伝えるのかではなく、何を伝えるかに重点を置いてるからである。

意味わからんと思うのだが、この文にしても、人間は脳で認識して情報を得ているわけだが、私が言いたいのは無意識で情報を得ようと、察知しようと感じる面を重視して届けたいと思っている。

この察知させようというのは、いかに面白おかしく笑わせたり、人を喜ばせたり、していかに人を納得させようと自分を権威的に見せて知識をひけらかしたり、何か自信を得ようとしたいわけではない。

むしろ一般的な内容からも逆行しており、どんどん人が離れていき、スクリーニングにかけてより人を選んでいく文章にしていきたい。

何故かというと、自分がこのブログ読者に届けようと思っているのは思考ではなく、一種のバイブレーションであるからだ。それはエネルギーであり、いくら頭で理解しようと思っても到底理解できることではない内容である。

最近になってようやく色々と理解してきた。知識を与えるのではなく、もっともっとその上の高い次元のエネルギーを届けることがコミュニケーションの本質であり、それを届けることで各自の解釈により思考が働き意味をなしていくと筆者は感じており、考えている。

解釈はいかようにもなるが、もっとその高い次元のエネルギーだけを届けることができれば人を満たすことも喜ばせることも可能となる。そのためには常に自分の意識を波長を高く、維持し続けることがより大事となる。

何をどう伝えるのはハッキリいって、私の力では到底及ばない。いかんせん語彙力がなさすぎる。意識的に伝えることはできないにしても、無意識的にだったら相手に何かを伝えることはできる。

それら文章を今後、感覚的に打っていく。プロ目線から見たら言ってることは全く辻褄が当っていないかもしれない。それには全く意味がなく、ただの文章のガラクタに過ぎないだろう。

しかし本質はそこに存在していない。価値は心で感じ取る中に生まれる。文章をそういった高い次元に溢れる視点で得られるように読者にエネルギーを与えていきたい。こうした文章を何かの役に立つかはわからない。

ただ何らかの高い次元からのエネルギー的な意味を加えてただただ流れに任せて打っていく。他人に理解されなくてもいい。誰にも認められなくたっていい。だってその奥深くに眠っている純粋なエネルギー、それをただ伝えたくて、書きなぐる形で文章として人に届けていく。

さぁていつか文章力が高くなることを祈って今日もまた単にブログを更新してみた。